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TEL's room.com

映画の感想、そして仕事を通じて感じる「組織」の異常さを自分なりの目線で書いていきます。

ゲームばかりしていたら立派な大人になれないのか?

教育 自己主張

ゲーミフィケーション―<ゲーム>がビジネスを変える

ゲーミフィケーション―<ゲーム>がビジネスを変える

 

小学生時代によく言われました。「テレビゲームばかりやってたら立派な大人になれないから勉強しろ!」「漫画なんて読まずに勉強しろ!」という説教です。そんなことをひたすら言われて泣く泣く意味も分からず算数ドリルやお稽古事で通っていた英語の予習なんかをしていました。そのせいかどうか知りませんが、小学校から中学校に上がるあたりで性格が大きく変わりました。小学校高学年のころにこれまで活発だった自分の性格が一気に暗く誰とも話そうとしない内気な性格へ変わった瞬間ってやつを今でも覚えています。常に親からは怒鳴られ怒られ、という理不尽さを繰り返されていたせいでしょうか。この時期が、自分にとって大きな転換期だったのかなと思っています。

 

そして大人になった今小中学生時代を思い返すと覚えていることが本当に少ない。初めて読んだライトノベル(フォーチュンクエスト)や初めて買ったギャルゲー(ときめきメモリアル)のことはいくらでも思い出せるのに、学校で学んだことや学生時代の各種イベントごとなんかもすべて思い出せなくなっています。抑圧された環境下に自分を合わせることができず、全ての行動を自分の個人的な趣味や一人でできることに没頭していた時期ですね。ただ、この時期に感じたこと、触れたこと、考えたことが今の自分の判断基準のコアになっていると思います。

 

私の様々な判断基準のコアな部分を少し話しますと、「嫌なことは絶対にしない」というものです。ここでいう「嫌なこと」とは「生理的に本当にやりたくないこと、いくら妥協してもやりたいと思えないこと」です。ただ、目標を達成するため、本当にやりたいことに近づくためであればどんな苦労も厭わない性格なので、「嫌なこと」は目標次第でいくらでも変えられるとも思っています。こういう風に考えるに至ったのは、中学生時代のオタク的な趣味に没頭し始めたころがあってこそだと考えています。

 

そんな性格のまま大人になった私が今の自分を省みると立派な大人だとは到底思えません。しかし、微力ながらも社会に対し価値を提供し、問題も発生させないことはできていると思います。テレビゲームばかりやってきて、漫画や小説ばかり読んできたけれどそこそこの大学に入学できましたし仕事もしています。幼少時代に勉強だけを強要されるのもしつけの一環かもしれませんが、それ以外のやり方で育ってきても平均的な能力を持った大人になることは可能だと思えるんです。

 

立派な大人。これをどう定義するかは十人十色だと思います。起業したり大企業に勤めることが立派な大人だという人もいますし、結婚し子供を産み家を買うことが立派な大人だという人もいます。しかし私はそうは思わない。じゃあどう定義するかというと、立派な大人とはある一定以上の年齢を超えれば誰だってそうなるんだと思っています。18歳、20歳等々いろいろと基準はありますが、こういった年齢を超えることで自動的に立派な大人になると私は思います。何をやっているかなんてどうでもいいことです。人それぞれ価値観が違い、やりたいことも違います。だからこそ、誰でも立派な大人であると思うわけです。

 

「テレビゲームばかりやっている=立派な大人になれない」という等式は単なる親の根拠のない感情論にすぎません。ただ単にテレビゲームをさせたくないからこう言っているだけです。だって、テレビゲームをしていても立派な大人に誰でもなれるんですから。物事の本質をしっかりと認識し、やりたいことを追求する。そんなことができる時代にしていきたいですね。

 

「叱らない」しつけ 子どもがグングン成長する親になる本

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