てるめめブログ

映画の感想、そして仕事を通じて感じる「組織」の異常さを自分なりの目線で書いていきます。

在宅勤務を許容できないのはシステムよりも個人の凝り固まった思考にあると思う

大学時代とある英語の授業を受講していました。講義の名前は「英語総合」。講師は幼少時からアメリカで過ごし、UCLAMBAを取得し起業した経験のあるビジネスマン。私はこの講師に心底惚れ込み、ここで学んだ半年間が自分の人生の中で最も有意義だったんじゃないかとすら思っています。

 

この授業、英語の文法や長文読解等の講義なんていうものは全く無かったんです。「英語総合」という名前なんだから英語を取り巻く文化や価値観、英語が公用語の国はどのような人がどのように過ごしているのか、英語圏の企業や大学での講義はどういうものなのかを熱く語る授業が行われました。この講義、もう一度受講できるならいくらかかっても良いので受けたいとすら思っています。

 

また、授業も場所ややり方にとらわれず、教室で講義を行うこともあれば、雰囲気のいい喫茶店で授業を受けたこともあります。大学の中庭って時もあったような。とにかく、英語にまつわる文化や経済についての知識と興味を持って貰うという目的を達成させるために、様々な方法で学生の興味を喚起し工夫し講義を楽しく受講して貰うことに注力していたと感じています。

 

 

ここでみなさんに質問です。授業を教室以外でやったというエピソードを読んで、そんなことは許されるのか? だめなんじゃないか? こう思った方はいますでしょうか。私も当時は感じました。教室で席に座って授業を受けるというのが当たり前の行動だと思っていたからです。しかし、日本ではこういう行動に違和感や、やってはいけないことなんじゃないか? という先入観が始めに頭に浮かんでくるんです。

 

それでは本題です。在宅勤務に後ろ向きな理由はなんだろうか。その答えはこういう考えが浸透していることだと思うんです。仕事は会社の中でみんなと集まって行うことが当然だ、それが当たり前だ、という考えがあるからこそ、なかなか前向きにゴーサインだせ無いんじゃないかと思います。

 

確かに、仕事の内容や仕組みが在宅勤務に適していないのであればそれは会社に行って仕事をするべきです。しかし、出来る環境があるのにやらない、やれないということは、何かしら感情的なものが邪魔をしているんじゃないかとも思うわけです。他にもたくさん理由があると思いますが、一つの意見としてこんなことを考えてみました。

 
社員が出社しなくても仕事が止まらない会社のつくりかた

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